糸平の紹介文
今から200年ほど前の江戸時代おわりごろ、駒ヶ根で生まれた田中平八。そのかつやくから、人びとは平八のことを「天下の糸平」というニックネームでよぶようになりました。明治時代に、たくさんの人に、えいきょうをあたえた人物です。
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糸平の一生 ※年齢は数え年で表しています。
江戸時代
- ■ 1834年(1歳)
赤須村(現在の駒ヶ根市中央)で生まれる。
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■ 1852年(19歳)
飯田のそめもの屋さんの田中保兵衛の家に入り、 むすめの「はる」と結婚。
名前を田中平八 にかえる。
- ■ 1859年(26歳)
横浜開港。飯田に妻と子どもをのこし、横浜へ行く。
- ■ 1865年(32歳)
自分の店「糸屋平八商店」を開く。生糸の売り買いや、お金を両替する仕事で、たくさんのお金を得ていく。
- ■ 1867年(34歳)
横浜の花咲町に大きな家を建てる。飯田にいた妻と子どもをよびよせる。
明治時代
- ■ 1872年(39歳)
力を入れて取り組んできた、東京~横浜の間の鉄道が完成。
- ■ 1876年(43歳)
東京・日本橋に田中組(のちの田中銀行)をつくる。
- ■ 1878年(45歳)
東京株式取引所(後の東京証券取引所)づくりに関わり、株をたくさん持つ人の中で、4番目に多く持つ人になる。
- ■ 1883年(50歳)
熱海で病気を治している間に、自分のお金で、町に水道と電信線をつくった。
- ■ 1884年(51歳)
横浜で亡くなる。
糸平のはたらきで、日本の養蚕や生糸づくりは発展しました
学校に行って勉強したわけではありませんが、まわりをよく見て「今、なにがひつようか」を考えることで、外国に生糸をたくさん売ることができました。

生糸をつくる人たちに、道具をそろえるためのお金を用意してあげることで、外国でも売れるような良い品質の生糸をつくれるよう応援しました。

みんなでお金を出して「しごとを応援するしくみ」をつくりました
しごとにチャレンジする人が、お金の心配をしないですむように、仲間といっしょに「みんなでお金を出して応援するしくみ」をつくりました。この「みんなで応援するしくみ」は、だんだん広がって、日本全体のしごとを元気にすることになりました。
それが、今の東京証券取引所のはじまりです。
糸平クイズ
Q1.糸平は、どうして生糸を売ることをはじめたのでしょうか?
- ① 日本で人気があったから
- ② 外国で生糸が足りない状況で、
高く売れると思ったから
- ③ めずらしい種類だったから
Q2.糸平が仲間と考えた、「みんなでお金を出してしごとを応援するしくみ」は、今、なんと呼ばれているでしょう?
- ① 銀行
- ② 東京証券取引所
- ③ 市役所
こたえはこのページの一番下にあります。
記念碑はどこにあるの?
天下之糸平生誕郷
〒399-4117 長野県駒ヶ根市赤穂北割二区25-12
糸平の生誕150年を記念して、地域の人たちが建てた記念碑です。糸平のすばらしい活やくを記念してつくられました。
駒ヶ根高原の大沼湖のほとりに立っています。
天下の糸平出生地
〒399-4112 長野県駒ヶ根市中央13-15
糸平が生まれた家があった場所に建てられた記念碑です。生誕150年を記念してつくられました。糸平の物語がはじまった、大切な場所です。現在の駒ヶ根郵便局の角にあります。
天下之糸平の碑
〒131-0034 東京都墨田区堤通2丁目16-1
糸平が亡くなったあと、仲間たちが建てた記念碑です。石に書かれている文字は、日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文が書きました。東京都にある記念碑の中で、一番大きな記念碑です。
天下の糸平
〒395-0012 長野県飯田市大王路1丁目1
糸平の家があった場所に建てられた記念碑です。立て札には、ここに家を建て、桜町で田中銀行を経営していたことが書かれています。現在の風越公園や飯田警察署の近くにあります。