開催にあたり
人は野生の蚕(クワコ)の繭から糸をとり出し、それから衣料素材として利用することを考え出し、更により扱いやすいように家畜化して飼育することにより、安定して材料を確保することに成功しました。絹の生産はこのようにして中国から始まりました。中国においては、絹は金や宝石以上のものとしてヨーロッパへ輸出されていましたが、蚕を飼って繭を穫り、糸を繰る技術(養蚕)は門外不出の技術としていました。しかし、その技術もやがてヨーロッパに伝わり、我が国にも海を渡って伝えられました。我が国の養蚕は、絹の断片が縄文遺跡から発見されていることや魏志倭人伝に卑弥呼が中国の皇帝に絹布を献上したことが記述されていることから、かなり古い時代から行われていたものと考えられています。
中国で南宋時代(12世紀)に揚州の長官であった楼璹が時の皇帝に献上した蚕織図は、当時の養蚕の様子を知る貴重な資料です。原本は消失していますが、それを基につくられた石版画が残っており、同本の粉本は数多くあるといわれています。我が国でも宝暦13年(1743)、橘 守圀による「直指宝家織婦之図」が出版されています。これらには掃き立てから壮蚕飼育、上蔟、収繭までの作業風景や蚕具などが克明に描かれ、基本的には現在の作業風景と変わりはありません。しかし、時代の推移とともに作業の簡便化、効率化を求めてたゆまぬ努力をし、改良に改良を重ねてきた歴史があります。蚕についてもより糸量が多く、病気などに強い丈夫な蚕を求めて改良が加われてきました。更に画期的なのは、1900年代に外山亀太郎によるメンデルの遺伝の法則の昆虫(蚕)分野での雑種強勢の発見で、これはその後の交雑育種の基になりました。
我が国の養蚕業は、安政6年の横浜開港を契機に生糸が主要な輸出品となったことで急速な発展を遂げ、その後の明治、大正、昭和の戦後30年代まで主要な産業であり続けました。このような養蚕業の発展を支え続けたのは、品種改良、生理・生態の科学的な解明、各種病原体の解明と防除技術、飼育機材(蚕具)などの改良に裏打ちされたものです。
本展は、所蔵する蚕體解剖図の絵巻(模写)や掛軸を中心として、伊那谷で使われてきた蚕具類、他の地方の珍しい蚕具類の発展過程や先人の知恵に触れられるような展示を行います。
特別展の様子
図録の紹介
図録 収録内容
今回は「蚕体解剖図」絵図とその原図となった石渡繁胤著「蚕体解剖図」と併せて古い蚕具類も展示いたしました。蚕具類は、蚕を飼って繭をつくらせるまでの作業過程で使用する道具で、時代の変遷とともに材料(素材)や形状などに違いが見られます。日常の生活の中で身近な素材である藁や竹などが巧みに利用され、自家で利用する道具は手作りで調達していましたが、生産の拡大に伴って次第に商品として器具や道具が販売されるようになり、製作機が開発されることにより大量生産が可能となりました。
道具は、生産性を向上させて労力を軽減する大切なものですが、電子化や高度な機械化が進んだ現在、先人たちがどのような道具を使っていたかを知ることは大切なことだと確信します。
図録のサンプル
図録の購入方法
TEL.0265-82-8381/FAX.0265-82-8380
受付時間 9:00〜17:00
休館日 水曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始