伊那地方は温暖肥沃な気候風土に恵まれ、県内一の桑の生産を誇り、明治30年代には多くの農家が養蚕に生活を託すようになっていました。養蚕農家で生産した繭は仲買人を通して売っていましたが、農家の立場は弱く、安く買い叩かれるなどして産繭処理に泣かされる場合が多いものでした。最善の経営方法は農家自身が産繭処理して生糸を販売することでした。それを実現すべく国の産業組合法が施行され、いちはやく「産業組合製糸」として認められたのが、ここ伊那谷の「有限会社上伊那生糸販売」でした。後に7つの組合を連合させて「伊那生糸販売組合連合会龍水社」となり、飛躍的な発展を遂げていきますが、隆盛期も企業化せず最後まで農家のための会社であるという理念を貫きました。
展示内容
龍水社の創立
- 産業組合法制定後、全国でいち早く組合製糸に着目した伊那谷の製糸工場が数々の組合を連合させて発展を遂げていく
上伊那社の創立
- 明治時代より蚕種分野を専門とした組合が企業化される様子と、龍水社とのかかわり
龍水社・上伊那社に貢献した人々
- 飯島国俊、飯島嘉造、山田織太郎、北原金平の活躍
繭から生糸をとる繰糸工程
- 実際に稼働していた自動繰糸機の一部と小型繰糸機